リーダーシップ持論:その1
2019-03-10


トリノで働いていた時、リーダーシップトレーニングコースのコーディネートも一時期やっていた私。管理職となってからもうすぐ8年、自分なりにリーダーシップについての考え方も深めてきました。それで、ちょっとシリーズでまとめてみようかな、と思いました。

世界にはものすごい数のリーダーシップ理論がありますし、時代によってトレンドもありますが、一番よく言われることの一つのが「リーダーはビジョナリーであるべき」というものです。リーダーの最も大切な役割は、将来へのビジョンを示すこと、という訳。これが間違っていると言うつもりはありませんが、私はこれが最も重要とも思えないと常々感じてきました。と思ったら、最近のハーバードビジネスレビュー(HBR)にまさにこれ、「なぜビジョナリーなリーダーは失敗するのか」という記事が出てました。

この記事では、ビジョナリーなリーダーを育てるだけでなく「戦略的アラインメント」が重要ということが説明されています。要するに、ビジョナリーなリーダーが好きなことを自分勝手にやるのではなく、組織として1つの方向性を向いてやっていくよう、そこにも同じぐらい投資しないといけない、ということでしょうか。これ、実はすごく大事なことだと思います。特に国連のような巨大組織になると、世界中に散らばった国籍も文化もバラバラな人々が、同じ理念のもとに働かなくてはいけない。そのためには、リーダーが自分なりのビジョンを持った人であるだけでは充分ではなく、組織の理念、ビジョンを体現するようでなければ困ると思うのです。これが可能となるためには、組織としては、その理念やビジョンを体現する人を採用・昇進でも重視するべきだと思います。そこで一貫性がなかったら、どんなにリーダーシップトレーニングをやっても、あまり意味がないと言ってもいいと思います。

こう考えていくと、リーダーに一番ぐらい必要なこと、特に国連のような平和・人権・環境などに関わる仕事をする場所では、私は高い倫理基準だと思っています。自分の日々の仕事でも、倫理基準だけは妥協しない。そこでぶれなければ、あとはついてくる、と言ってもいいぐらい大事だと思います。倫理的に間違ったことはしない、間違ったことをしている人がいたら止めさせる、公正な組織の一員としての行動とイメージに注意する、などは、当たり前のはずでありながら、実は充分な注意が払われていないように思います。こういう考え方、あまりに常識的だからか、同じ意見の人にはあまり会わないのですが、それでもしつこく、私は倫理的なリーダーでありたい、といつも思いつつ仕事をしています。

次回は、リーダーシップを語る際には避けて通れない、人材のお話。

[仕事]

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